義肢装具士 齋藤拓さんとパラリンピック選手の挑戦
>>ついに開幕しましたパリパラリンピックです。
この大舞台に臨む選手たちを支える用具に、義手や義足があります。
こうした選手のために進化してきた技術が、アスリートではない障害者にとっても、欠かせないものになっているんです。
>>義手や義足の製作を手がける義肢装具士、齋藤拓さんです。
>>これまで19年のキャリアを通して作ってきた義肢はおよそ1000本。
パリパラリンピックに出場する5人の日本代表選手を担当しています。
その1人、自転車の藤田征樹選手は、交通事故で両足を失い、ひざ下からが義足です。
今回で5大会連続出場となる藤田選手。
初出場の北京大会で日本の義足アスリートとして初のメダリストになると、これまで3個の銀メダル、2個の銅メダルを齋藤さんの義足とともに獲得してきました。
義肢技術の進化とその日常生活への応用
パリに飛び立つ4日前、齋藤さんを藤田選手が訪ねていました。
体の一部となって戦う義足、その最終調整のためです。
培ってきた技術が注ぎ込まれるのが、肉体と義足をつなぐソケットと呼ばれる部分です。
齋藤さんが装具士になった当初、痛みが出やすいすねの骨の部分を避けて、側面とひざ裏辺りの3面で体重を支える形が主流でした。
齋藤さんは、逆転の発想で、すねの骨がある前の面を加えた4面で支える方法を思いつきます。
体重を分散させて、痛みが出にくくなると考えました。
そのために、すねとソケットの接する面は0.1ミリ単位で調整。
極限まで滑らかに仕上げていきます。
齋藤さんは、この技術をパラアスリート以外の障害者が日常生活で使うものにも反映させています。
小島浩幸さんです。
15年前にすねの骨に腫瘍が見つかり、切断を余儀なくされました。
別の義足を使っていたときには痛みがありましたが、藤田選手と同じ4面で支える齋藤さんのソケットにしてから、生活が変わったといいます。
自転車にも乗れるようになった小島さん。
出勤や買い物など、移動が容易になったことで、生活の幅が広がりました。
さらに7年前からは、新たな趣味としてゴルフを始めました。
4時間かけてプレーするゴルフでも、痛みを感じたことはありません。
>>パラアスリートの道具を進化させていく先に、齋藤さんは義手や義足をもっと快適なものにしていきたいと考えています。
>>一人一人に合わせてフィットさせる技術を向上させてきたことで、齋藤さんの義足は長い期間、使用できるようになっているということです。
>>そして、5大会目のパラリンピックとなる自転車の藤田選手ですが、早速、日本時間のあす、最初の出場種目、男子個人パシューから臨みます。