核兵器問題への関心の芽生え
田中美穂さんは、北九州市出身で、就職を機に広島に移り住んでから核兵器の問題に特に関心を抱いていなかったが、国際NGOICANのノーベル平和賞受賞を知ったことをきっかけに、核兵器廃絶に取り組むようになった。
その後、広島の被爆者であるサーロー節子さんの講演を聞き、被爆地にルーツがなくても何かできるのではないかと考えるようになり、核政策を学ぶ団体「カクワカ広島」を同年代の仲間たちと立ち上げた。
未来への展望と国際連携
田中さんは、今後の活動として、同じ志を持つ各国の同年代とつながりを強めることが重要だと考えており、オンラインでの情報発信にも力を入れている。
また、核兵器廃絶を訴えるアート展を企画し、世界のヒバクシャとの連携を強化することに意欲を示している。