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沖縄戦の慰霊の日と戦争被害者の証言

79年前の沖縄戦: 読谷村の激しい戦闘

今月23日は太平洋戦争末期の沖縄戦から79年の慰霊の日です。

この日は旧日本軍による組織的な戦闘が終わった日とされていますが、実際にはその後も散発的な戦闘が続きました。

こうした戦闘で家族を亡くした当時9歳の男性が、そのときのことを語ってくれました。

読谷村に住む宮城儀昌さん。

当時9歳で、記憶は断片的だという儀昌さん。

これまで妻以外に家族の最期を話すことはありませんでした。

79年前の昭和20年3月、アメリカ軍の激しい艦砲射撃が始まります。

読谷村の海岸は、艦艇で埋め尽くされていました。

戦後の生活と母親への思い

戦後、親戚に育てられた儀昌さんは、中学を卒業したあと、会社員やタクシー運転手として働きました。

仕事に励むことで、両親を失った悲しみを抑えていたといいます。

本土に復帰後、30代後半になった儀昌さんのもとに国から贈られてきたのは母親が旧日本軍に協力した戦闘参加者と認定されたことを示す賞状。

そして勲章です。

勲章を見ると、なぜ母親たちは命を落とさなければならなかったのか、考えてしまうといいます。

この日、儀昌さんは母親のフサさんと妹のトモ子さんが亡くなった場所を案内してくれました。

今はアメリカ軍基地の中にあり、入ることはできません。

2人の遺骨は戦後、掘り起こしました。

命日には、ここで手を合わせています。

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