松本サリン事件から30年:現場での追悼
長野県松本市の住宅地で8人が死亡した松本サリン事件から今日で30年です。
現場には犠牲者を悼む人が訪れています。
松本市の現場近くには昨日から献花台が設けられています。
1994年6月27日深夜、松本市の住宅地でオウム真理教が猛毒のサリンを噴霧し、8人が死亡、重軽症者はおよそ600人に上りました。
当時救助活動に当たった消防では、有毒の液体がまかれた想定で、テロ対策の訓練が行われました。
極秘捜査が明らかにしたオウム真理教の関与
この松本サリン事件でオウム真理教の関与を特定するに至った警察による極秘捜査を当時の捜査員が証言しました。
長野県松本市の住宅地で発生した松本サリン事件、オウム真理教が噴霧した神経ガスサリンにより8人が死亡し、重軽症者はおよそ600人に上りました。
神経ガスの正体が判明したのは発生から6日後、長野県警の元捜査員上原敬さん。
理系の大学出身で当時薬品捜査班のメンバーとしてサリンの生成に必要な薬品の入手経路などを突き止めオウム真理教に迫りました。
上原さんは化学式を逆算するなどしてサリンは5つの工程から作られると道筋を立て、ある薬品に注目しました。
全国の薬品会社や大学の研究室などを回り、販路を辿る地道な捜査を続け、不審な人物と会社が浮上します。
事件発生からおよそ3週間、たどり着いたのは東京の世田谷にあったオウム真理教の道場でした。
教団への捜査を隠すため、長野県警は道場近くの山下駅の頭文字からコードネームYとして極秘に進めます。
調べを進めるとオウム真理教が4つのダミー会社を通じてサリンを作るための薬品を大量に購入していたことが判明。
しかし強制捜査は行えませんでした。
その後翌年の3月に地下鉄サリン事件が発生。
ただ長野県警がオウム真理教にたどり着いていたことから、警視庁との合同捜査で実行犯の特定につながりました。
容疑者の取り調べも行った上原さんは、教団が70tのサリンを作ろうとしていたことを知りました。
世界で初めて市街地が標的とされた化学テロ=松本サリン事件、極秘の薬品捜査がオウム真理教信者による犯行を突き止めたのでした。